富山地方裁判所 昭和40年(行)2号 判決 1969年4月26日
原告 有限会社東電社
被告 富山労働基準監督署長
主文
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一、原告
被告が昭和三八年一一月二二日付で訴外田中時子に対してなした労働者災害補償保険法による遺族補償費給付制限処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決。
二、被告
(本案前の申立)
主文同旨
の判決。
(本案の申立)
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二当事者の主張
一、原告
(請求原因)
(一) 原告は電気設備の設計工事およびこれに附帯する事業を営むことを目的とする有限会社であり、富山県電気工事工業協同組合の組合員である。なお、原告は常時五名以上の労働者を使用している。
(二) 右協同組合は、同協同組合が昭和二七年四月一日訴外北陸電力株式会社と締結した電気工事委託契約に基づき同三八年七月六日右訴外会社から受託した富山市向新庄地内荏原線一四号東二号柱付近の低圧線延長単三化工事の施行を、同日原告に対し発注し、原告は同協同組合から右工事の施行を請負つた。同月一九日原告が右工事を施行中、原告所属の労働者亡田中富雄が電撃により死亡した。そこで、同人の妻田中時子は労働者災害補償保険法に基づき右死亡による遺族補償費給付を請求したところ、被告は、同保険法上被災者亡田中富雄の所属した事業主(保険加入者)は原告であると認定し、原告が決定納期である同三八年五月一五日までに保険料金二万七、八〇〇円の納付を怠つていたことを理由に、旧労働者災害補償保険法一八条(昭和四〇年六月一一日法律一三〇号による改正前のもの、以下同じ)を適用して、同年一一月二二日付で、遺族補償費を制限(制限金額一八万三、四〇五円、支給制限率三〇%)して給付する旨の処分(以下本件給付制限処分という)をなし、かつ原告に対し右制限金額を田中時子に対し支払うよう命令した。
(三) しかし、訴外北陸電力株式会社と前記協同組合間の前記電気工事委託関係は明らかに請負契約であり、同協同組合と原告間の受註関係は下請負契約であるから、労働者災害補償保険法八条により元請負人である同協同組合が前記工事の事業主(保険加入者)である。原告は右工事については同保険法上の事業主ではない。従つて、原告の保険料滞納の事実を理由になされた被告の本件給付制限処分は違法である。よつて、右給付制限処分の取消しを求める。
(四) なお、原告は、被告のなした本件給付制限処分に対し、適法に富山労働者災害補償保険審査官に対し審査の請求をしたが、右請求は棄却され、更に労働保険審査会に対し再審査の請求をしたが、これまた棄却され、該再審査請求棄却の決定書は昭和四〇年七月三一日原告に送達された。
(原告が本訴につき原告適格を有する理由)
(一) 被告は、前記のとおり原告を遺族補償費給付の原因となつた右災害発生工事の事業主であると認定して本件給付制限処分を行い、かつ原告に対し右給付制限金額を田中時子に支払うよう命じたのであるから、もし原告が本件給付制限処分の取消の訴求をなさないで、右処分が確定した場合には、
1、右給付制限金額につき、田中時子に対し、労働基準法七九条による遺族補償の支払義務を負うこととなり、
2、また、右支払に応じないときには同法一一九条により刑事罰を課せられる結果となる
のであるから、原告としては、当然、右行政処分の取消しを求める法律上の利益がある。
二、被告
(本案前の主張)
(一) 行政処分の取消しの訴の原告となりうるものは、当該処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するもの、すなわち、当該処分によつて法的に保護されている権利、利益を侵害され、または法律上の不利益を課せられた者に限られている(行政事件訴訟法九条)。
(二) ところで、原告が第三者である田中時子に対してなされた本件給付制限処分の取消しを求める理由として主張するところは、被告が右処分に際し労働者災害補償保険法による保険関係の加入者たる事業主を原告と認定(誤認)し、原告の保険料滞納を理由に右田中時子に対する遺族補償費給付を制限した結果、支給制限にかかる金一八万三、四〇五円の支払義務を原告が負うに至つたということにある。しかし、もし仮に原告主張のとおり原告が保険関係の加入者たる事業主でないとすれば、本件給付制限処分の理由の当否を論ずるまでもなく、右支給制限にかかる金額(遺族補償)の支払義務は訴外富山県電気工事工業協同組合の負担に帰すべきものであつて、原告がこれを負担すべき筋合のものでないことはいうまでもない。従つて、原告の本訴請求はそれ自体訴の利益を欠き不適法である。
原告が本件給付制限処分によつて不利益を受けたというためには、原告が保険関係の加入者たる事業主であることが前提とならねばならないわけである。しかるに、原告は、保険関係の加入者たる事業主は富山県電気工事工業協同組合であり、原告は加入者たる事業主でないと主張して本訴を提起しているのであるから、仮に原告の主張が事実と認められて右処分が取消されたとしても、原告が事業主でない以上、右取消しは原告の法的地位になんのら影響を及ぼさないことからしても、原告の本訴請求が訴の利益を欠くことは明らかである。
なお、原告は、被告が本件給付制限処分後、原告に対し「災害補償費の実施について」と題する文書により、右給付制限にかかる金額の支払を勧告したことから、右勧告をもつて原告に対する行政処分にあたると誤解しているようであるが、右勧告は原告の権利義務になんらの消長をももたらすものではない(最判昭三一・一〇・三〇民集一〇・一〇・一三二四参照)。
(三) 労働者災害補償保険法に基づく保険給付がなされた場合は、保険給付がなされた限度において使用者は災害補償の責を免れることになつている(労働基準法八四条一項)から、保険給付が制限されればそれに反比例して使用者の災害補償に対する責任が加重されるという関係にあることは事実であるが、災害補償に関する右の法律関係は労働基準法第八章所定の各規定に該当する事実が生じたときに法律上当然発生するものであつて、その権利義務の発生につき、行政庁によるなんらかの処分の介在を全く要件としないのである。従つて、田中時子に対し旧労働者災害補償保険法一八条により遺族給付制限処分がなされたからといつて、直ちに原告につき労働基準法に基つく災害補償の責任が確定したというわけのものではない。
また、田中時子に対する本件給付制限処分において公定力があるのは、三〇%の遺族補償費給付制限をなしたという処分自体(判決でいうと主文にある部分)に限定されており、当該処分をなした行政庁(被告署長)が如何なる理由からかかる行政処分をなすに至つたかという点にまでその関係人を拘束するものではない。従つて、仮に本件給付制限処分確定後原告が田中時子より給付制限相当金額の遺族補償の支払を訴求され、または同人に対し右遺族補償の支払をしなかつたという理由で関係行政機関より捜査、訴追を受ける事態が発生したとしても、本件給付制限処分の理由となつた事項、すなわち原告が災害発生事業の事業主であつたという認定までが既定、不可争の事実とされ、これがそのまま判断の前提事実とされるということはない。これらの新らたな審理段階では、当然、新らたな角度からそれぞれ別個独立に判断されることとなるのである。
従つて、本件給付制限処分がこのまま確定したとしても、その故に原告が法律上の不利益を被ることはない。
(四) 以上で明らかなように、拘束力を伴わず、法律上なんらの効果をもたらすことのない前記勧告を受けたにとどまる原告としては、これによつて法律上不利益を課せられたことにはならず、また原告が事業主ではないという前提に立つて、自己と直接関係のない第三者(田中時子)の受けた行政処分の取消しを求めることについては訴の利益がなく、結局原告適格を欠くものといわなければならない。
よつて、本訴請求は却下されるべきである。
(請求原因に対する答弁)
請求原因第一項、第二項および第四項の事実は認める。同第三項の事実は争う。
理由
まず被告の本案前の主張について判断する。
原告は、労働者亡田中富雄の業務上死亡時における事業についての事業主、従つて労働者災害補償保険法上の保険加入者は、訴外富山県電気工事工業協同組合であつて、原告ではないこと、すなわち、原告と国の間には同法に基づく保険関係が成立していないことを前提とし、右保険関係の不存在を理由に同法による保険給付制限処分の取消しを求めているのである。
しかしながら使用者の労働者に対する災害補償義務は、労働基準法第八章所定の災害補償事由の存する限り、法律上当然に発生するものであつて、労働者災害補償保険法による関係行政機関の保険給付に関する処分の有無とはもちろん、その処分の理由となつた要件事由などについての認定などとも全く関係がない。ただ使用者は、労働基準法上、災害補償義務を負うていても、補償を受けるべき者が労働者災害補償保険法によつて保険給付を受けるべき場合には、その価額の限度で補償の責を免れる(労働基準法八四条一項)ことになつている。従つて旧労働者災害補償保険法一八条(昭和四〇年六月一一日法律一三〇号による改正前のもの)による保険給付制限処分がなされた場合、労働者の遺族に対する災害補償義務の免責をうる範囲が減縮するから、使用者は、自己が労働者の業務上死亡時における事業の事業主、従つて労働者災害補償保険法上の保険加入者であること、すなわち自己と国との間に同法に基づく保険関係が成立していることを前提として、右保険給付制限処分が不当であることを理由に該処分の取消しを訴求する法律上の利益を有するけれども、労働者の業務上死亡時の事業の使用者ないし事業主、従つて労働者災害補償保険法上の保険加入者でないのに、関係行政機関からその者が事業主、すなわち保険加入者であるとの認定を受けてその保険料怠納を理由に保険給付制限処分がなされた場合、その者は該処分によつてなんらその権利ないし利益を害されることがないから、自己が事業主もしくは保険加入者でないこと、すなわち自己と国の間に労働者災害補償保険法に基づく保険関係が成立していないことを理由に右給付制限処分の取消しを訴求する法律上の利益を有しないものといわねばならない。
原告は、本件給付制限処分が確定した暁には、労働者の遺族に給付制限額相当の遺族補償を支払わなければならないし、また右支払に応じないときは刑事罰を課せられると主張するけれども、原告がその主張のとおりに労働者亡田中富雄の業務上死亡時における使用者ないし事業主でない以上、労働基準法による遺族補償義務は負はないのであるから、右給付制限処分により遺族補償義務の免責をうる範囲の増減を問題視すべき余地は全然存しないだけでなく、右給付制限処分が確定したからといつて、遺族補償のうえで原告が亡田中富雄の使用者であつたか、どうかが不可争的に確定する訳のものでもないことはすでに述べたところから自ら明らかであり、また給付制限処分の有無と原告のいう刑事罰とは法律上関係がないから、原告の右主張はあたらない。
なお、序でながら、被告が原告に対して右給付制限にかかる金額の支払を勧告した事実があつても、右勧告は原告の遺族補償義務の有無についてなんらの影響を及ぼすものでもないから、これをもつて本件訴の利益を肯定すべき根拠とはなし得ない(最高裁判所昭和二七年(オ)第一二八〇号、同三一年一〇月三〇日第三小法廷判決、民集一〇巻一〇号一三二四頁参照)。
以上で明らかなとおり、原告は本件訴につき原告適格を欠くから、本件訴は不適法であるといわなければならない。
よつて、原告の本件訴を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡村利男 伊藤邦晴 庵前重和)